《本日のフリーダムメッセージ》

高いは低い 低いは高い

 

サイキックな能力が高まってきた時に
気をつけなくてはいけないのは

サイキック能力を
何に使うかということです。

平等のところに
立てていれば良いのですが

能力をどう活かすかは
いつも、本人次第なのです。

例えば
劣等感がもの凄く強い人が
サイキック能力が秀でてきたり
もしくは、霊的にほんの少しだけ
開いて覚醒してきたとします。

そうすると、途端に劣等感が翻り
優越感に転じます。

わたしは、特別
みんなよりも凄いわたし

そんな風に勘違いし始めてしまうのです。

注意すべきは、劣等感がある人ほど
こういったことが起こりやすく
ちゃんと開いてしまっている人よりも
ちょっと開きかけた人ほど起こりやすいです。

劣等感が強いひとは
優越感が強いひとと自分は違うと
思っているかもしれませんが

中庸から外れている距離とベクトルで言ったら
同じであることを覚えておくと良いです。

そして、中庸から離れていればいるほどに
優越感に転じる時も、大きく離れます。

高くなればなるほど
それは低いということと同じである

強い力を持っていれば尚更
何に活かすかによって
最も低い者にも成りうるのです。

また、劣等感が極度になっている場合
それをそのまま優越感にする場合もあります。

所謂、『不幸自慢』というやつです。

どんなに大変な思いをしてきたか。
ということを、自慢にしてしまった場合

そこに、自慢のエネルギーが乗りますから
とても変な感じになります。

こんなに大変な体験をしてきたということは
誰かよりも精神性が高いと思い込んだりします。
そういった勘違いと優越感は
劣等感が高いから起こります。

すごく大変な体験をしてきたことを
受け容れているというのは

『役割を受け容れている』ということです。

その体験を通した役割を
全うする為の体験であり

それは、宇宙にとっての
地球にとっての
役割ですから
役割に上下は無いということです。

そういった体験をすると決めた
チャレンジ精神のある魂であることは
間違いないと思います。

そういったことを賛美することと
特別意識や優越感に浸ることとは
別物なのです。

ひまわりも、素敵。
すずらんも、素敵。
薔薇も、素敵。

自らの役割を受け容れ
それを生きた時に
大きさや、高さに関係ない
賛美の世界が広がるのです。