<EVERYTHING LOVE WORLD  一番に愛されたいという欲求>

 

子供の頃、病気の母を父はいつも大事にして

私を優先してくれないんだろう、どうして

父は私を愛してくれないんだろう。

 

そう思っていました。

 

大人になってから、わかったこと。

いくら父親や母親であったとしても

それぞれに、自分自身の人生があり

他者をどんなに愛していたり、大切に思っていても

自分自身が今興味があることや、仕事、他に大切に

しなければならないことなどが織り交ざりながら

人生が構築されているということ。

 

何でもかんでも、全てのことがいつも

自分が最優先されるということが

愛ではないのだとわかったのです。

 

パートナーシップにおいてなら、<女性の中で>

一番愛されていないと、パートナーシップは築けない

不倫とかそうじゃない関係性もあるけれど

なかなか一番じゃないと難しい

というのはわかるんです。

 

でも、一番を欲しがるのは、そういう場面ばかりではありません。

母にも、父にも、パートナーにも、時には子供にも

<一番愛される>ことを望むというのは

とても無謀な思考だと思います。

 

理想的な母であって欲しかった。

普通の家庭であって欲しかった。

理想のパートナーであって欲しかった。

 

人間は理想という枠に囚われないものです。

人それぞれの苦労や苦難があり

自分には計り知れないほど

想像以上に愛されていたかもしれないと

思うことは多々この年になって思うのです。

 

与えることばかりではなく、与えないことも時には愛だし

本当にその人の立場になってみないと真意って見えない。

 

伝わらないこともあるかもしれないけれど

伝えてみたことが、いつか伝わるかもしれない。

 

後悔なんてないというほどに愛していたって

亡くなってしまえば、後悔するかもしれない。

 

だから、一番に愛されているかということを

気にしている誰かがいることを気にせずに

目の前の人を全力で愛することしかできない。

 

それで、相手が自分のことも愛してくれているんだな

という風に感じて受け取ってもらえることができなたら

こんな嬉しいことはありません。

 

それでいて、受け取ってもらえるかは、わからないことだから

受け取ってもらえるかどうかとは無関係に

愛し続けられるかどうかだと思うのです。