<EVERYTHING LOVE WORLD  愛の基準>

 

何を愛と感じるかという基準は

時とともに移り変わります。

 

パートナーシップ、恋愛において

わたしの求めるかつての最高の愛の形は

この上なく、尊重され、愛され、自由を与えられ

受容されて、尽くされることでした。

 

協力し合い、愛を育みあう

それが、最高の愛。

 

そう思っていたのですが、崩れ去ってしまいました。

 

元夫の死後、わたし自身の価値観も

大きく変わってしまいました。

 

いくら、パートナーシップで素晴らしい

最高の愛の形を得ることができたとしても

いつかは、死という形で終わりを告げる時が来るのです。

 

それ以来、わたしの中での最高の愛と感じる瞬間は

<今、一緒にいること>

 

互いに、愛し合い、一緒にいること。

共に今を過ごすこと。

それが、最も愛を感じる瞬間です。

 

多くの人は、パートナーがこれをしてくれないとか

あれをしてくれないとか、協力してくれない

何々してくれないというところで悩んでいます。

 

つまり、パートナーシップにおいての

平等性、フェアのところで悩んでいるのです。

 

パートナーに何を求めているのかは

人それぞれ異なります。

 

お金や金銭面の補助を求めている人もいるでしょうし

家事や育児の手伝いや協力を求めている人もいるでしょう。

男らしさやたくましさを求めている人もいるでしょう。

 

私の場合、特殊な体験をしたため

求めているのが、<存在>に切り替わりました。

その人という存在が、目の前にいてくれること。

それが、この上なく、幸せに感じます。

 

パートナーから得ているものは、沢山ありますが

存在以外で、もう一つ、かけがえのないものがあります。

 

それは、生きる生き甲斐、願いです。

 

以前のわたしは、願いや生き甲斐を失ってしまっていました。

何もする気力も浮かばず、燃え尽き症候群の状態に

なってしまっていたのです。

 

今は、生きる願いがあります。

彼の願いを叶えたい夢もあります。

 

それが、どれほど素晴らしい生き甲斐になっているか

計り知れません。

 

人生、生きていれば、愛の基準は幾らでも変わります。

言い換えるならば、以前愛だと感じていたものは

そんなにこだわる必要がなかったものだとわかる時があったり

そんなに愛してくれていなかったと思うような人であっても

後から振り返ってみれば、とても愛してくれていたというのが

わかることもあるのです。

 

パートナーシップは、その時々で、自分の愛の基準値を

満たしてくれる人であれば、愛されていると感じることが

できます。

 

ただし、幾つもの基準があって、一つは満たされている

例えば、生きるためのお金はもらっているけれど

家事育児の協力がないから、愛されていないと感じる

ということもあるかもしれません。

 

自分が何を求めているのかを知ることは大事ですが

愛の基準、何を求めているのかは、人それぞれ異なりますし

生きているうちに、どんどん変わっていくものなので

結局のところ、模索しながら、人生歩んでいく以外ないですね。

 

人生はどんどん進んでいくものなので

短絡的に、愛されているかどうかを

固定的に決めるということ自体が

無理があることかもしれません。

 

彼が自分を愛してくれているかどうか

ということが不安になる方もいると思いますが

自分がいかに相手を愛することができたか

ということにも着目していくと人生が変わります。