《本日のフリーダムメッセージ  不自由を楽しむ》

 

今日のタイトルは

タイトルからして抵抗がある人も

いるかもしれないよね。

 

なんてったって、不自由。

皆んなが大好きなのは自由。

 

不自由を楽しむなんてとんでもないと思ったあなた。

 

もしかすると、その時点で

自由ではないのかも?

 

というのはですね。

本当に自由な人間というのは

不自由を嫌わないのです。

 

すでに自由なんだから

自由は十分にあるわけで

十分にあるので、ゆとりもあります。

 

自分は十分に自由だ。

そう感じているゆとりですね。

 

そのゆとりがあった上での

不自由さを楽しむ。

 

それは、他者との関わりを

楽しむということでも

あるのです。

 

人と人とが関わり合い

関係性が生まれるということは

必須的に不自由も生まれるということです。

 

ですから、本当に自由な人というのは

不自由さも楽しめますから

他者との関わり合いも

行えるというわけです。

 

ところが、不自由を楽しめず

自由に固定されている人というのがいます。

 

今まで、いろいろと制限があったなら

その制限の分だけ、自由を体験したい

という思いはありますが

自由にしかいられないのであれば

現時点では、まだ、癒しが終わっておらず

自由だけしか選べない不自由

というところに、いるのです。

 

両方を選べる上で

どちらが選びたいかということが

できることが、精神的な自由であり

 

それが出来ないということは

そのこと自体が不自由なのです。

 

それは、他者との関わりが

出来ないレベルで不自由を

感じることが全くできないことも

そこに含まれます。

 

片方しか選べないということは

どちらか一方を排除しているとも言えるのです。

 

常に、両方ある中で

自分がどちらを選んでいくか。

 

その時、自分には自由も不自由も

両方選ぶことが出来る自由が存在します。

 

一見、自由と感じるところに不自由があり

不自由ですら、責任と共に受け止めた時には

もはや、不自由ではなくなるのです。