《本日のフリーダムメッセージ 愛された感謝を起点とする》 

 

今日は、随分と強い波動の影響が

全体的にありましたね。

これから起こってくることの前触れや予感を

感じさせる重い空気感がありました。

 

私も、午前中はどうにも身体が重く

意識が遠のくので、休んでいました。

休みながら、赤龍と一緒に地殻のお仕事を

高次元でしていました。

 

『ここまでは、サポートするけれど

ここからは、出来ません。』

 

というようなラインが引かれていく様子を

至る所で見かけます。

 

それは、各々が、より自分の使命を生き出した

ということでもあり、自分自身を中心として

動き出したということでもあります。

 

人の重荷をもう、背負えないんだよ。

人の期待に沿って生きることも、もう、出来ないんだよ。

 

馴れ合いや、埋め合わせの関係は崩れ去っていき

残るのは、『共に在る』という関係だけになっていきます。

 

共に在るというのは

何時でも、何でも、同じことをしている

というのとは違うのです。

 

協力というのは、各々が自分自身の足で立って

その上で成り立つものだから

自分が立たずしての協力というのは

依存を生んでいるということだから

どこかで負担が発生して辛くなります。

 

それでいて、依存というのは

いつもそうであるように、それを自分で

自覚していない時に発生するものなのです。

 

自覚している時というのは

今の自分の状態が、力不足、実力不足で

誰かの力を借りながら、頼りながら

手を借りながら、進んでいるという事実だから

情けなくは感じるかもしれないけれど

自分でも、やれることをやって

努力しているならば、それは

依存とは違います。

 

依存は自覚していない時に起こるか

一方的に得るところだけに意図がある時を言います。

 

依存になっているかどうかを気にする人というのは

頼れない人か、手を借りている自分の状態を中途半端にしか

受け入れられていない人。です。

 

もうさ、割り切っちゃえばいいんだよね。

私なども、本当に、何にもさっぱり出来ないし

わからないだらけなものだから

そういった場面、いくらでもありました。

 

私は、今、手を借りているんだなって。

いっぱい頼らせてもらってるんだなって。

チャンスもいっぱい頂いてるんだなって。

 

その事実をしっかりと先ずは受け止める。

受け止めると、そのこと自体で

もぞもぞしなくなる。

 

そこから、自分としては何が出来るか。

それを精一杯やっていくしかないですよね。

 

情けなくって、いっぱい手を借りている状態。それを丸ごと受け止めていけばいくほど強くなる。

 

何故か。ここにパラドックスがあります。

情けなくって、いっぱい手を借りている状態。

実は、ここからスタートの場合のみだけ

感謝スパイラルの好循環が起こります。

 

それ以外は、自分がやってやってる。

という自分主体発動スタートに陥るので

見返りを欲する負のスパイラルになるんです。

 

何もできない自分が、丸ごと愛されることへの感謝

が起こって、そこから自分の出来うる

最善を世界へ届けていこうと思えた時には

見返りを求める意識は発生しないのです。

 

なぜなら、感謝がスタートだから。

 

感謝がスタートの時に

全てはうまく回るのです。

 

感謝ってどういう時に湧くのか。

その一つは、無条件に愛されたと感じた時に

起こります。

 

そこからスタートの場合は無理がありません。

どれほど、世界に返しても返し尽くせないほど

いっぱいの愛を先に受け取ってしまう。

 

情けなくって、いっぱい手を借りている状態。それを丸ごと受け止めていけばいくほど強くなる。

 

こういう人は、自分もいっぱい愛することが

出来るようになります。

全身全霊の愛というのは

心にも身体にも確かに刻まれて残り

決して消えません。

 

悲しみも、痛みも、怒りも蓄積しますが

愛された証、それもまた、残り

その人を生かし続けます。

 

いつもそうですが、本当に多くの存在の愛によって

多くの存在の助けによって、ここまで歩んできました。

 

自分が成したことと言ったら

できる限りの最善を

尽くしてきた以外にありません。

 

それだって、スタッフさんに

多くのご助力をいただきながら

サポートしていただいている方に

多くの助言をいただきながら

できたことです。

 

自分一人で出来たことなど

むしろ、何一つ、ありません。

 

私は、それでいいんじゃ無いかなと思ってます。

いっぱい愛されてしまって生きているけれど

自分の出来うる最善を尽くして

やれることはやって、努力すること以外には

何もできることもありませんし。

 

人の手を借りるということと

依存は全く別物なのです。

 

沢山の人の手を借りて

いっぱいの愛を受け取って

感謝を起点として、生きる生き方。

 

みんな求めていながら

みんなが尻込みもしてしまう生き方。

 

それは、情けなさや未熟も

同時に感じて生きることだからです。