《本日のフリーダムメッセージ》

~幸福度〜

 

突然ですが
あなたは、どういった基準で
幸福かどうかを判断していますか?

お金があれば好きなことができて
幸せになれる。

実は、実際にそうなれる人と
そうなれない人がいることを
知っていますか?

リチャード イースタリンという
経済学者は、次のように述べています。

1、ある時点までの一国の所得の増加は
幸福度に比例する。

2、ある時点から一国の所得が増加しても
幸福度との相違が見られなくなる

3、時系列的に、国の豊かさを見ていっても
幸福度は変わらない。

つまり、衣食住が確保されるまでは
所得の増加は幸福度に比例するのに
その後は幸福度は上がらないのです。

どうしてだと思いますか?

これが、どういった基準で
幸福かどうかを判断しているか。

というところと
大きく関係します。

実は、幸せ度を形成する場合
大きく分けて2パターン存在するのです。

1、人よりも、経済的豊かでいることで、幸せを感じる。
2、みんなで、経済的豊かになることで、幸せを感じる。

前述の、ある一定の所得までは
幸せ度と一致するのに
その後は一致しなくなってしまうのは
1、目線で生きていると、全体的な豊かさは
幸せ度と一致しないからです。

実際に、経済的に豊かになっても
幸せになれる人と幸せになれない人の違いはここです。

もっと言うと
これは、『経済的豊か』ということを
他にすり替えても同じです。
例えば、覚醒だと

1、人よりも、サイキック能力が高いことで、幸せを感じる。
2、みんなで、サイキック能力が高くなることに、幸せを感じる。

1、人よりも、精神性が高いことで、幸せを感じる。
2、みんなで、精神性が高くなることに、幸せを感じる。

そうです。
本当に真逆というほど、幸せと感じるものが
異なるのです。

つまり、私たちの幸せ度というのは
ある一定の基準を超えたあとについては
経済的豊かさの上昇や精神性の高さの上昇や
サイキック能力の上昇そのものではなく

経済的豊かさについて
国単位での統計を取った時のように
1、人よりも、優れていることで、幸せを感じる。
という層の人ちが
2、みんなで、向上していくことに、幸せを感じる。
というように変容していかないと、幸福度は一向に変わらないのです。

それを実現するために
大きな鍵となるのは
個々が、本当の『個性』を
得ることだと思っています。

人には、なんだかんだ言ってみても
みんなと一緒にはなりたくないという
意識が存在します。

それを経済や能力と同一化するから
おかしなことになるのです。

そうでは無くて、既に特別である。
ということが先に存在し
それに気付けていけたら
どうでしょうか。

過度に、誰かと競うことでしか
幸せを感じられないというところから脱却できます。

個人レベルで言っても
1の状態から2の状態になるのが
どれほど良いことか、理論的な方も
納得されるかと思います。

1、人よりも、優れていることで、幸せを感じる。
という人は、ある一定の水準からは、幸せ度は横ばいであることに対し

2、みんなで、向上していくことに、幸せを感じる。という人は、幸せ度が無限に伸び続けるのです。

何かを得たり、出来るようになっても
いくら実現しても、不足感があって
いつまでたっても、幸せになれない人の理由は
ここにあります。

私が、最も重要視している
サポートの1つに幸せ度の向上があります。
なぜならここが変わらないと、
お金を得たとしても、何を得たとしても
結局のところ、何も変わらないからです。

何処までも、際限なく
どんどん幸せになっていく人の秘密は
とてもシンプル。

2で生きている人なのです。