《本日のフリーダムメッセージ 想いを伝えること 》

 

想いを伝えること。

 

簡単なようでいて

中々難しい時もあります。

 

相手のことがどうでも良かったら

この世はもっと簡単だったけれど

どうでも良いどころか

愛していたりするから

余計、難しかったりするのですよね。

 

それに加えて、わたしたちは

この人生を生きる前から

生まれる前から抱えてきた

沢山の痛みがあって

そうした痛みに気付いていなかったり

痛みに飲まれて自分を失ってしまっていることで

それが連鎖している状態にあるのです。

 

だから、想いを伝えるというのは

とてもシンプルなことなのだけれど

実際に自分の思いを素直にストレートに

表現できるようになるには

 

1、自分がどんな痛みを持っていて

2、どんな風に責任を取りたくない場面があって

3、弱かったり、脆かったり、情けなかったりする自分を

丸ごと受け入れて抱きかかえられているか

 

によるものですし、それに加えて

パートナーシップになってくると

どちらの方が優位に立てるかなどの

パワーバランスが絡んでくるから

更に複雑化してきます。

 

夫婦間、パートナー間では

どれほどお互いが自分の想いを

そのまま相手に伝えられるかどうかで

関係性の良好度は変わってくるとも言えます。

 

何故なら、自分の奥底にある想いを

そのまま伝えられない時には

言葉が歪んで伝わり

どんどん歪んだ屈折の中での

関係性になってしまうからです。

 

順に見ていきましょう。

 

1、自分がどんな痛みを持っていて

これに気付けない、気付いていない人がどれほど多いか。

 

どんな痛みかの内容までは判らずとも

痛みが自分に存在しているということを

しっかりと自覚している人は

自分に痛みがあるということが解っているので

必要以上に他者のせいにしたりしないし

世界に対しての優しさを持っています。

 

それは、どんな痛みの表現を世界に見たとしても

自分のこととして受け止められるから。

 

無自覚の部分は表現されるときに

むき出しになって痛みが現れるので

その痛みによって更に人が傷つくという

連鎖が起こることもあります。

 

そうならないためにも

わたしたちは、裸の王様にならないように

自分の痛みを知り、更には自分がどんな痛みを

持っていて、それが弱点になっているかを

知っていく必要があるのです。

 

2、どんな風に責任を取りたくない場面があって

『あなたのためよ。』

『あなたのために言っているのよ。』

 

そんな風に言葉では発していても

恩着せがましかったり

見返りを感じたりして

受け取る方は全然楽しい気持ちが

しないこともよくあることですが

 

こういった時は

大抵は、相手のためなのではなく

自分がしたいことや

自分が相手にしてほしいことを

相手のせいにして責任転換をしている状態です。

 

責任転換が成立する時というのは

責任転換された側にも問題があります。

 

被害者と加害者は一対であり

完全に被害者と加害者から

逸脱している状態であれば

発生しません。

 

同じことが責任転換においても言えます。

責任転換が成立する時というのは

責任転換を許してしまった自分に

問題があるのです。

 

人間関係の真のスムーズさを得たいなら

偽物のスムーズさは終わらせなくてはなりません。

 

偽物のスムーズさとは

何も起こらないようにすることです。

 

何も起こらないように。

問題が起こらないように。

誰かが怒らないように。

抜き足、差し足、忍び足。

皆んなが機嫌が良い状態を保つために

自分だけ我慢していれば良好になる。

 

そんなことをしているから

真のスムーズさから離れていくのです。

 

偽物のスムーズさを得るのを辞めましょう。

これを続けていると、我慢と犠牲が溜まり

怒りが体内に蓄積します。

 

自分の都合で自分の思いで

行いたいことなのに、他の誰かが行うこと

として変換されて表現される時があります。

 

ところが、こういう時というのは

物凄く違和感があるのですよね。

 

違和感がありながらも

その場でそれを言えないなら

まだ自分の思っていることが

明確化していない証拠です。

 

自分の思いが明確化していて

さらに、誰かの責任の部分に

自分を勝手にのせられてしまうなどの

責任過剰、加害者的な立ち位置に立つことを

終わらせている場合は、それは自分のものじゃない。

それは、わたしのものじゃない。と

はっきりと指し示すことが出来るので

責任転換を他者が行う隙がありません。

 

加害者の立ち位置にも立たないというのは

被害者というものから、本当に逸脱している

とも言い換えることが出来ますね。

 

責任転換は

する側、される側。

両方を逸脱する状態になって

初めて、逸脱したことになります。

 

余談になりますが

両方の逸脱というところでは

支配、コントロールからの脱却と

仕組みは全く同じです。

 

3、弱かったり、脆かったり、情けなかったりする自分を

丸ごと受け入れて抱きかかえられているか

 

自分の本音の想いって

とっても弱かったり

情けなかったりするものです。

 

恥ずかしいくらいに

情けなくて。

 

ありえないくらいに

弱くて。

 

それでも、本当のことが言えるか。

愛を求めている自分を認められるか。

 

そう、この

愛を求めている自分を認められるか

 

これが、中々難しいのです。

自分が愛を求めている。

そのことを認めることが出来ない人が多いのです。

 

例え、認めていたとしても

そうなると、依存するレベルで

過剰に求めている形になります。

 

丁度良い塩梅で

愛し愛され

求め求められ

与え与えられる

ということが可能にならないのです。

 

愛を求めている自分を知り

望んでいる自分を知ったとき

素直に自分の言葉が出てきます。

 

『こうして欲しい』

『こうしてくれると、もっと嬉しい』

『もっとこうしたい』

 

こうした自分主体の言葉は

相手に響きます。

 

全てが叶うかどうか。

自分の思った通りになるかどうかが

問題では無いのです。

 

こうした自分の想いを

素直に世界に表現できたこと自体に

意味があるのです。

 

言葉、表現とは

コミュニケーションとして

伝達するという側面もありますが

それだけではありません。

 

言葉を世界に発すること自体が

『これが、わたしです。』と

常に世界に表していることになるのです。

 

自分と世界に、こうしたい。これがいい。

と言うことになりますから

そういったものを次第に引きつけるように

なっていきます。

 

愛してもいい。

与えてもいい。

 

そして、愛されてもいい。

受け取ってもいい。

 

愛することを求めてもいいし

愛されることを求めてもいい。

 

宇宙は、どんなことも

あなたに与えることを

待ちわびています。

 

想いを伝えること。

それは、自分を知るプロセスでもあり

実際に伝えようとするときに

ほんの少し勇気がいることも

あるかもしれません。

 

それでも、あなたがあなたを理解して

最もあなた自身の想いを伝えてあげられたら

そのこと自体があなたを癒し

大切にすることになります。

 

そして、ずっとずっと

世界に現していたら

いつの日か、あなたの想いに

応えてくれる人が現れます。

 

誰かのせいにするのも

偽りの言葉で誤魔化すのも

うすら寒い偽物の調和を守るのも

 

全部、全部、終わりにして

本当のあなたで、愛し愛されていくのです。

 

それは、言葉を言い換えるなら

弱さも脆さも情けなさも含んだ

本当のあなた、等身大のあなたで

世界と勝負するってことだよ。

 

丸ごとの自分で愛される。

そこに、皆んな、自信を持てないんだよね。

何故なら、一度も、そんな風になったことがなくて

無理難題すぎて、無理なような気がして。

 

大丈夫。

世界は、あなたが思っているよりも優しい。

今までどうであったかとは無関係に

優しい世界もこの世には確かに存在します。

 

優しい世界への一歩を踏み出そう。

ありのままのあなたで。