《本日のフリーダムメッセージ》

~愛故に〜

 

数多くの人間がいる中
この人生を生きて
実際に出逢って声をかわす人は
どれくらいいるだろう。

その中でも更に
友人だったり
家族だったり
仕事仲間だったり
恋人だったり
ライバルだったりする人は
どれくらいいるだろう。

運命の赤い糸なんて
空想にしか過ぎないと思っていたのに
ヒーラーになんかならないと思っていたのに

気がついたら
ヒーラーの仕事をしていて
今日々、行っている
フリーダムディスティニーという
関係性の糸の再生を行うワークでは

様々な関係性の糸を掴んで
持ち上げて再生するということをしています。

糸っていうのはそこら中にあって
恋人だけじゃなくて
家族も全部あるんだというのが
今のわたしのリアル。

ワークを受けられた方は
全員、関係性の糸を外してみると
どうなるか。という前代未聞の体験をされ
今までいかに設定上で生きてきたのか
すべては設定だったのかということがわかるのです。

関係性が濃ければ濃いほど
お互いの学びも濃くて
家族ともなってくると
一筋縄ではいかなさそうな
メンバーが揃っていたりします。

ああ、よりによって、何でこの人?
という人が、親だったり兄弟姉妹だったり。

近い間柄だからこそ
衝突したり
許せなかったり
積み重なったり。

時には、殺したいほど憎かったり
愛し合いたいのに上手く出来なくて
こじれてこじれて。。。
最初の気持ちは何だったのか
自分でも忘れてしまって
諦めていることさえあります。

自分でさえ忘れてしまったり
憎くて憎くて、どこを探しても
愛など見つからなかったりする時ですら

自分は該当しないと思っていたとしても
こころの奥の奥底には
密かに、それでいて確かに消えない灯火があって

再生してゼロポイントに立って
純粋な愛に還った時

すべては愛故であったことが
わかるのです。

愛だと観えない設定の眼鏡をかけている時は
全部、真っ黒に見えるようになっているのだけれど
その眼鏡を外した後は
どれもこれも、愛だったんだ。
とわかるのです。

昨日、息子と喫茶店でお茶をしていたら
その喫茶店が、昔息子が習い事に通っていた時に
送り迎えする時に、待っていた喫茶店と同じお店で
ふと、息子の送り迎えのことが思い出されました。

送り迎えって、けっこう根気がいるのよね。

何をするわけでもない。
ただ、ひたすら、相手の用事が終わるまで
時間をつぶす。

ああ、あの時、わたしって、けっこう頑張ってたなあ〜
と、その時の自分を労っていたら

さらに、母のことが思い出されました。

わたしは、小さい頃からピアノを習っていて
高校くらいまで続けたのですが
幼稚園と小学校の中学年くらいまでは
母が必ず送り迎えをしてくれていました。

北海道の田舎だったから
バスを乗り継いで
ピアノの先生のところに行くのです。

毎週、毎週、かかさず
嫌な顏ひとつせず、送り迎えをしてくれました。

当時は、携帯も無いから
ただ、喫茶店でお茶を飲んで過ごしていたんだよね。
ひとりで喫茶店で、どんな時間を過ごしていたんだろう。

トランスミディアムというテクニックで
母を自分の身体に入れたとき
どれほど、母の身体が重くて
目も開け難い状態だったのかが
はじめて、本当にわかりました。

憶測を超えた理解が起こったのです。

薬の影響もあっただろうから
送り迎えするのも
簡単ではなかっただろうに。

過去生の因縁の憎しみを全身で感じながら
霊障をつけて、薬を飲んで
自分のことを見失いそうになりながら
それでも、娘として、懸命に愛そうと
してくれていたことが感じられ
涙もろい私は、喫茶店で少し泣いてしまい
息子に軽く叱られました。

今でこそ、わかる。
今だから、わかる。

眼鏡を外した後でしか
見えなかった真実。

すべては、愛だったのだと。