《本日のフリーダムメッセージ》

~形に囚われるのを終わりにする〜

 

セドナから帰ってきました。
アメリカに行くと様々な人種や
様々な考えや価値観の人に出逢います。

個々の考えや価値観は
違っていて当たり前。

海外から帰ってくると思うこと。
それは、わたしたち日本人が
自分にとっての答えではなく
『これが正解』という形、枠を生きようと
している民族であるということです。

結婚の概念一つとってもそうでしょう。

以前よりは、良くなってきてはいますが
まだまだ、結婚の概念も固定的です。

1人の人とずっと添い遂げていく
ということが良きとされています。

仕事もそうです。
1つの仕事をずっと極めていく
ことが良きとされています。

1つのものを長く続ける良さも
確かにありますが
それだけが正解で他が不正解と
なってしまった時に
苦しくなります。

子育てもそうです。
こういう子育てが正解とした時
自分の子育ては不正解になりますから
苦しくなります。

不正解なので
自分を誇れません。

×(罰)だらけというのが
日本人の状態なのです。

また、社会にとっての
正解不正解で生きていると
自分にとっての正解を
生きられませんから
苦しいし、幸せでは無いのです。

幸せでないから
他の人が好き勝手自由にしていると
妬んだり、羨んだりします。

自分が自分の幸せを生きた時に
妬みも羨望も存在しないのです。
尊敬だけが在り続けます。

わたしは、シングルマザーなのですが
子育てを一般の家庭のようには
してあげれていません。

健康的な食材で
原材料を1から揃えて
三食全てつくっていたら
仕事をする時間はありません。

外食をすることも、良くありますし
簡単なもので済ませることもあります。

だから、世間一般の良きお母さん
というところでいったら
×かな。

でも、自分的には×だとは思っていません。

自分が好きな仕事に情熱を
傾けている背中を見せられているし

一緒の時を過ごす時は
世界を広げてあげられるように
可能性を広げていけるようにしています。

クッキーやケーキを
しょっちゅう作ってあげるお母さんでは
ないけれど、でも、自分らしいお母さんでは
あると思っています。

シングルマザーだと
1人親だから
お母さんとお父さんの両方の役を
1人でこなさねばならず
凄く頑張っていたり
子どもにばかり
時間を注いでいたりしますが

母親であるだけでなく
1人の人間でもありますから

自分の好きなことをするのを
母親であるという枠によって
制限することを辞めるようにしています。

自分が幸せになれないことを
誰のせいにもしない。

これが、責任のある有り様だと思うのです。

先日、性の話で話題になった際に
日本人の女性は性行為をする際に
自分がこうしてほしい
という願望を言えないでいて
性行為に不満を抱いている。

という話をきいて
これも、自分が幸せになれないことを
誰かのせいにしている。
ということの一つだと思いました。

ちゃんと伝えた上で
話し合った上で
それでもダメだったら
相性とか色々あるだろうけれどね。

でも、それ以前の話の場合が多い。

仕事もそうです。

自分が辞めたら職場の人が困るから
辞めたいのだけれど辞められない
というのは

やはり、自分が幸せになれないのが
他の誰かのせいになっているのですよね。

探してみれば
日常の色々なところに
わたしたちは、自分が幸せにならないことの
言い訳が潜んでいます。

世間の枠や社会の概念から
もっともっと自由になって
自分が幸せになることを
他の何かにせずに
やりたいことをやって
それぞれが好きに生きた時

もっと満たされた日々。
もっと個々の幸せを
生きることが出来るのです。